2011年11月28日 – 12月4日

東京・銀座ギャラリー喜久田

飛鳥天空 F20号 額外寸 95 × 85cm

ふる里は語ることなし F10号 額外寸 78 × 70cm

花摘み F20号 額外寸 95 × 85cm

斑鳩の里 F20号 額外寸 95 × 85cm 売約済み

夕映えの日本海 F6号 額外寸 61 × 51.8cm 売約済み

法隆寺西門 F10号 額外寸 78 × 70cm 売約済み

飾り壺とオールドローズ 楕円8号 額外寸 45 × 33cm 「並河靖之頌」

斑鳩の里 F20号 額外寸 95 × 85cm 売約済み

飛鳥天空 F20号 額外寸 95 × 85cm

法隆寺西門 F10号 額外寸 78 × 70cm 売約済み

ふる里は語ることなし F10号 額外寸 78 × 70cm

夕映えの日本海 F6号 額外寸 61 × 51.8cm 売約済み

飾り壺とオールドローズ 楕円8号 額外寸 45 × 33cm 「並河靖之頌」

花摘み F20号 額外寸 95 × 85cm

2011年10月17日 新潟日報

風土に根差した端正な構成

▼白鳥十三絵画展(18~30日、新潟市中央区万代島5のアートギャラリー万代島)

新潟市生まれ東京在住の白鳥さんは、早稲田大学在学中から画塾に通って洋画を学び、創作約40年を一貫して無所属で通し、東京銀座とふるさと新潟で個展を開き続けてきた。

今回は、奈良と新潟の薔薇シリーズ3部門展示で、100号の水面鳥瞰図1点をはじめ、「斑鳩の里」(法隆寺)=写真=や「飛鳥天空」(橘寺)など20号3点。新潟の坂口安吾の石碑がある松林「ふるさとは語ることなし」「異人池の教会」「万代橋」など10号は5点で他に小品。

だ円形額縁やルイ15世式彫刻の装飾額縁に入った、ロココ風のバラの絵も含め、計約20点とジクレー版画数点である。アクリル絵の具に岩絵の具を併用、新開発の溶剤で、問題のあったアクリルの絵肌が改善されたという。

風景画では、全般に日本の風土に根差した端正な構成と、堅実で達者なデザイン、細密な写実描写が画面を引き締め、空の鮮やかな青、暗緑色の杜と明るい草や林の緑、寺社など建造物の渋い暖色が、陰影と奥行きの鮮明な画面を創出し、何かしら郷愁を感じさせる。

一方、「夕映えの日本海」6号の、打ち寄せる波を染める夕日と雲の色が、さわやかな空の青と調和し、軽妙で優雅な雰囲気を醸しており、華麗で繊細、快い美感をもたらすバラのシリーズの絵とともに、現代に再現されたロココ風の絵画とでも言えるようだ。

その感性は、前に触れた額縁へのこだわりにも表れている。この後もう一方の、ゆったりした日本的な画境と、どちらが濃さを増すか、楽しみである。 (鈴木清一)

2010年04月20日 新潟日報

日本人の本能刺激

白鳥は2008年に新潟市内の企業ナミックス・テクノコアに横幅4mの大作「我が心のふる里」を設置している。写真では見せてもらったことがあったが、今回の個展でその一部、それも核心とも言うべき場所を描いた作品をみることができた。

そこに描かれた鎮守の杜の祠はこの集落の精神的な柱であろう。手前の穏やかな川面は周囲の田畑を潤し、人々の暮らしを支えてきた。背景の山々の重なりとたなびく雲は、縄文・弥生の古代から変わらぬ姿を見せてきたに違いない。新潟の人だけでなく日本人の大半が連綿と受け継いできた農耕文化のルーツが描かれている。人工的なものは何も無く、自然そのものの佇まいだが、日本人としてのDNAを刺激してくる。

白鳥は故郷の風景のほか自身が住む都会のシーンや花を描くのを得意としている。今回アクリル絵の具と岩絵の具を溶くのにアートレジンというメデュウムを使った。それは絵の具独特のぬめりをとって乾いた仕上がりに効果があるという。

日本人の本能刺激

白鳥は2008年に新潟市内の企業ナミックス・テクノコアに横幅4mの大作「我が心のふる里」を設置している。写真では見せてもらったことがあったが、今回の個展でその一部、それも核心とも言うべき場所を描いた作品をみることができた。

そこに描かれた鎮守の杜の祠はこの集落の精神的な柱であろう。手前の穏やかな川面は周囲の田畑を潤し、人々の暮らしを支えてきた。背景の山々の重なりとたなびく雲は、縄文・弥生の古代から変わらぬ姿を見せてきたに違いない。新潟の人だけでなく日本人の大半が連綿と受け継いできた農耕文化のルーツが描かれている。人工的なものは何も無く、自然そのものの佇まいだが、日本人としてのDNAを刺激してくる。

白鳥は故郷の風景のほか自身が住む都会のシーンや花を描くのを得意としている。今回アクリル絵の具と岩絵の具を溶くのにアートレジンというメデュウムを使った。それは絵の具独特のぬめりをとって乾いた仕上がりに効果があるという。

油彩画に見られる照りや艶よりも日本画のような表面の肌触りを好むところに、単なる絵の具の違いだけの問題ではないものを感じる。なお今回の風景画には人物が登場してきたが、それは風景の中の点景として位置ずけられている。人物を描かなくても人間を感じさせる「我が心のふる里」とは異なり、現代を表そうとしている。

1949年新潟市生