2012年05月06日 Sunday世界日報

ふるさと愛する独住画家

新潟平野から山並みを臨む朝焼けの風景を描いた画家・白鳥十三さんの作品『わが心の故郷』。4.0メートル×1.5メートルの大作だ(写真左下)。

たなびく雲に映る朝陽の微妙な色合いの変化が、静かに円環する地球時間の朝の空気を伝えている。立ち上る朝霞がまもなく消え、水面に陽の光がきらきら光り始めた。今朝、目覚めたばかりの人の心に、希望の1日の予感さえ与えてくれる。「自然とはこういうものだったのか」とため息が出てくるほど感動的だ。

セラミック二次電池など、導電・絶縁材料のパイオニアとして知られる株式会社ナミックス(新潟市北区)の研究棟エントランスロビーに飾られている。「ふるさとの情感を感じていただければ」と、絵の前に立つ白鳥さん。

ふるさと愛する独住画家

新潟平野から山並みを臨む朝焼けの風景を描いた画家・白鳥十三さんの作品『わが心の故郷』。4.0メートル×1.5メートルの大作だ(写真左下)。

たなびく雲に映る朝陽の微妙な色合いの変化が、静かに円環する地球時間の朝の空気を伝えている。立ち上る朝霞がまもなく消え、水面に陽の光がきらきら光り始めた。今朝、目覚めたばかりの人の心に、希望の1日の予感さえ与えてくれる。「自然とはこういうものだったのか」とため息が出てくるほど感動的だ。

セラミック二次電池など、導電・絶縁材料のパイオニアとして知られる株式会社ナミックス(新潟市北区)の研究棟エントランスロビーに飾られている。「ふるさとの情感を感じていただければ」と、絵の前に立つ白鳥さん。

もう1枚の絵は平成22年、NHKハート展出品作『道』(写真右下)。こちらは実に楽しく、心が自然に浮き立ってくる。人は、絵の中に生の現実を見ようと絵画展に足を運ぶのではない。だからと言って、現実から離反した絵はよほどつまらない。現実と非現実の被膜のあわいに、人間の優しさや、楽しさをぐっと詰め込み、白鳥さんならではの具象を現出した。

1960年代、前衛的なコンセプチュアルアートなど現代絵画が、わが国になだれ込んできたが、白鳥さんは「ぼくにはどうも肌に合わない、要するに(目指すものが)違うんじゃないか」と。そして23歳の時、『造形志向の強い絵ではなく、崇高で精神性の高い、気持ちがすっと抜けてゆくような具象絵画を目指していく』と思い定めた。「それ以降、ぼくの(絵の作り方の)肝は変わらない。見ていただく肝でもある」。見飽きない、人の心をつかんで離さない白鳥絵画のマジックの秘密がここにある。

新潟県出身。同郷の作家・坂口安吾の石碑をテーマにした『ふるさとは語ることなし』や歌人、書家で古都・奈良を再発見した會津八一にちなむ『法隆寺西門』の作品などがある。"愛郷家"の心は、彼らのそれに通じている。

実家のすぐそば、歩いて1、2分のところに會津八一最晩年の住居(現・北方文化博物館新潟分館)があった。「年報を見ると、ぼくが生まれて、先生が亡くなる最後の7年間が重なっている。ぼくは、よくパン屋にお使いに行っていたが、その向かいがお宅。ひょっとしたらお会いしてるかもしれない。そんな親密感もあるんです」。「先生の書の『独住』という言葉もぼくと同じで、好きだなぁ、生意気だけど―」。

小さい頃絵をよく描いていたが、中・高と絵を封印。進学校の新潟高校へ通ったが、18歳の時、画家になるよう、内なる声が・・・。進路について、高校、大学と父親と確執が続いたが、大学を出ても絵をやると言い出した時、父が折れ、「実は・・・」切り出した。白鳥さんが小さい頃に描く絵を見た、新潟県出身で、日本画家の小島丹漾師(奥村土牛門下)が父親に、「この子が18ぐらいになって、絵をやりたいと言い出したら、やらせたほうがいい」と勧めたというのだ。父親はこの時初めて白鳥さんに明かした。

以来40年を超え、自信に満ちた魂の自由人だ。大柄でゆったりした風貌。鷹揚に見えるが、親しみがあって、面倒見がいい。戦後、大好評を博した獅子文六の小説『自由学校』の主人公、五百助を彷彿とさせる。

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